一定条件下の雨の日に安全に乗れる自転車の実現を目指して

サラリーマンの頃から趣味で自転車のような物をいくつか作って来た、その中に、雨の日に乗れる自転車というテーマがあった。一年早いとは言え、誤差の中で定年退職である。59歳の誕生日直前に退職した。現在、一人暮らしである。小田原で活動しているが、隣の南足柄市に住居がある。平均寿命から見れば、先は長い。しかしそれは平均であり、全体を示す数字であり。現在の日本では、一緒に生まれた男の子は、60歳時点では9割は生存しているが、1割、10人に一人は既にこの世にいない。私の父、配偶者の父、結婚を世話してくれた叔父、仕事で世話になった津山の先輩はともに60歳前後でなくなっている。身近な人の死にいつ遭遇するか、そのひとは何歳で亡くなったか。そういうことは、人生の立位置や思いに、多いに影響を与えると私は感じている。秀雄という同級生がいた、男女合わせて40数名の一クラスだけの田舎の学校で、中学も一緒だから、みんな友達だった。秀雄とは、一緒にラジオを作ったりした。それが、事故で25歳くらいで亡くなった。

これも、私の人生に大きく影響を与えている。死は生の先にあるのでなく、裏にある。誰の言葉か忘れたが、ひと風吹けば、裏返って、さようならだ。

 さてそんな思いの私が、定年退職だ、既に完全に自由の身だ。

ここまで振り返り、一番面白かった、充実していたのは、子育て中だった。三人の子供に恵まれ。既に社会人だ、世の中の役にたっているかなんてことは関心がない、送り出すまでが大人の役割だ、後は知らない。

 一方、母は健在である、父の分まで生きているのだろう、体の不自由はあるが、精神は、健康である。私が自由の身だというのは、兄と兄嫁のおかげである。三人は田舎で暮らしている。私が憂うことはない。

 一人でできるボランティア、なぜなら、人は苦手だから、会社生活では、技術という言葉で意志疎通をはかることができなんとかやってこれた、そんな感じだった。

 スポーツ好きはこどものスポーツ指導をしたりする、私は工作好きだ。それなら工作で子供達と戯れよう、そう決めるのに時間はかからなかった。3月に退職し、4月には、ご近所小中高生向け無料工作教室「くるくる小田原」を通りの店舗を借りて旗揚げした。自宅のガレージが相場だろうが、どうみても怪しいということもあり、なんとかなるだろうと店舗を借り始めた。殺到すると思った、無料だ、土日午後、予約もいらない。月に一度課題が変わる。つまり月に一度来ればいい。土日が8日ほどある、午後だけだ。月に50人は対応できると考えて、費用は、課題あたり、200円だ、これで一万円である。こずかいで賄えると計算した。家賃は別だ。だが当初は苦戦した、今でも続いているが、まあ、土日に各3人くらいは来るので24人前後来ている計算だが、同じ子が何回も来るので、まあ実数は10名ちょっとだ。10名だから、ひとり1000円まで予算があることになる。思ったより低学年で小1から中1まで来るが中心は4年生あたりで、女の子が多い。ラジオ、ボイスレコーダー、毛糸の帽子、マフラー、スプーン、マグカップにアートワーク、小型の機器だが、デジタルの加工機で既製品のはさみに名前を入れたり。ボールペン作ったりだ。とにかく、実用品を作る、金属、プラスチック素材がメインだ。この地は木工が盛んであるが、自然素材は、工業化志向に合わない。こっちはものづくりの人材を育成している気分なので、牛乳パックや、段ボール細工は他の人に任せる、科学教室もやらない。手の感触で物を作る感覚を覚えさせたい、そんな思いだ。平成の私塾、それも工作私塾だ、ここから社会の役にたつエンジニアが生まれる、そんな熱い思いで始めた。ま、それは幻想だった。大企業に居たので、全国区から優秀な人が集まり、失敗が多いものの、時々は世の中の役に立つことができる。まあ、私は、ちょっとお手伝いした程度です。そこで見て、優秀なんだけど、知識は豊富なんだけど、知恵がないという人材を沢山見て来ました。いやもっと頭悪くていいから、知恵者はいないのか、そんな思いでいました。やはり子供のころからの根っからの工夫好き、手の感覚を持った人材が必要なんだと、工作私塾をはじめたのです。

未来への教育は無料であるべきと思っています。誰が優秀か、誰が芽を出すか、わからないのです、誰でもいいんです、そういう人材が世の中を構成し、ともに前進させるのです。自分のこどもに、高等教育の機会を与えましたが、待てよ、もっと他の子に投資すべきだったのではと思うようになりました。自分の子供ということで、ことさら、教育投資するのは、社会全体から見たら、損失を生んでいるかも知れないのです。まあ、終わったことなので、そして、それなりの連中(わが子達)なので、お金をどぶに捨てたというほどではないと思ってはいます。

 50名参加して、選抜で5名は自転車を作る、そんな構想で、苦節4年にして2018年に、小学6年生、次が5年生とともに男子ですが、自分でアルミに加工し、組み立て、実際に乗っています。私自身の開発の遅れから、完成度はまだ低いのですが、とにかく、作って楽しい、おだわら自転車はデビューしました。

 自転車を作る、6年生で作り、中学生から乗る。素晴らしいと思いませんか。まずは、この近隣で、次に市内で、そして全国へ。クラスに二人でいい、サッカーでもなく、野球でもなく、ピアノでもなく、工作好きの少年、少女がいて、自分の自転車を自分で作る。

その子たちは、社会の貴重なエンジニアになると確信しているのです。

 こどもが製作しても、安全や信頼性が確保できる自転車、それが「おだわら自転車」です。地面からシートまで500mm程度です、椅子より少し高い程度です。

これで中学生から大人(身長190cm)まで対応できまます。そして、座面が低いので頭の位置が低い、よって、屋根、もしくはカウル、風防をつけても高さが1500mm程度に収まるのではないか。危険の少ないシールド付き自転車ができるのではないかです。

 雨の日自転車に関しては、私の段階で、満足のいく結果が得られるかどうかもわかりません。その時は、次の愚公がやってくれるでしょう。(201509、201901修正)

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参考にした特許

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U.S.Patent

5509678

日本でも販売


U.S.Patent

5620196

フレーム構造

低座自転車という呼称は一般的な用語ではありません。セミリカンベント(少し横たわった)という呼称が使われていす。1930年前後には既にその形態の自転車が存在し、現在でも販売もされていますが、もっと形をイメージできる呼称が欲しかったので、低座自転車としました。

低座自転車は

 構造を単純化できる可能性がある

 足つきが良く、倒れににくい

 屋根付きの域が広くなる

一方で、

 乗りこなしにやや慣れがいる

 走り出しのパワ―が出しにくい

 (坂道での登り発進が難しい)

 駅まで、学校まで、近くの買い物まで、主に平地地域で使用に向いています。

 「工作の好きな人は<おだわら自転車>を作る」という文化を実現したく活動しています。(20190119修正)

 

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セミリカンベントですが、「おだわら自転車」

と呼んでいます

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